大阪中之島美術館で開催中の『佐伯祐三 ー自画像としての風景』に行った。ゴールデンウィーク中の日曜日、混むかなと思ったけど、天気も良くないし午前中なら大丈夫だろうと思い、11:00前に黒い箱裏側に到着。
5階の会場に入ると、閑散としているわけでもなく、とても観やすい混雑具合。やっぱりこのタイミングにしてよかった。
佐伯祐三、初めて観たのはいつだろうか。その時思ったのは、(同時期にパリに居て成功していた)藤田嗣治と全然違うな、というのと、ユトリロ みたいで好きだな、のふたつだった。
ほぼ病みながら働いていた頃、わたしを救ったのはグスタフ・クリムトと佐伯祐三の作品だった。クリムトの絢爛豪華な美しさ、佐伯の勢いと覚悟を感じる構図。とにかく圧倒されて、自分の悩んでいることはなんて小さなことなんだろうと思った。それ以来、人間が体感すべきことのひとつに「圧倒されること」があると信じている。
佐伯祐三は「生き急いだ」というより「死に急いだ」ような人生を送った。片手にも満たない短さの画業の中で、どんどん開眼して成長していく様は驚異的だったことだろう。
好みとしては、1回目の渡仏でヴラマンクにバチボコにやられて、ユトリロ を見て「すっかり好きになってしまった」あとの壁をメインにした作品が好きだ。壁ってこうだよな、という、温度まで感じるような圧倒的な質感。そこに叙情的なものがある。なんだか寂しいような。
2回目の渡仏では、納得のいく作品を一枚でも多くとら描いて描いて描きまくった。死期を悟った人間の凄みを感じてしまう。あの太く黒い線と、極限まで削ぎ落としたデフォルメは、ここまで行くとちょっと分かんないなと思わせるんだけど、『扉』という作品の解説文の中に「画家の目と手を通して、現実の扉から佐伯祐三の扉に変貌している」っていう一文があって、この『佐伯祐三の扉』っていうところがすべてなんだと思った。彼が見た風景は確かに存在する現実だけど、その中で佐伯は自分が表現したいところにだけフォーカスする。抜群にデッサンの上手い佐伯だからこそ、モチーフをとことん単純化できるし、本質だけを描くようなあの表現に行き着いて、それが評価されているんだな。
いわゆる「美しい絵」ではないけど、やっぱり佐伯祐三好きだなあ……ってなった。
今回は一部作品を除いて写真撮影可だった。最近増えてきてるけど、なかなか思うようには撮れないよね。ふたつだけマシなのがあったから、載せておこう。