友達が癌になり、治療を始めた。夏のはじめくらいから異変は感じていて、病院にも行ったけどそのときは癌とは診断されず。結局、自覚症状があってようやく、ちゃんとした診断を受けることができたらしい。
その友達とは10代からの付き合いで、美術展やライブによく行った。一時は訳あって疎遠になったけど、わたしがグイグイ行った甲斐があり、今ではすっかりシスター気取りだ。若い頃のように気軽に会えなくなった分、LINEでのやりとりが増えた。去年別の友達を病気で亡くしたあと、いちばん心の支えになってくれて、下らないことでもLINEしあって生存確認しあおうよと言ってくれた。
わたしが勧めた本に癌を患った女性がでてきて、その症状が、病気の表現が、自分の状態とほぼ同じなのだと言われたとき、その本を勧めてよかったのかと、とても辛かった。本当に辛く、恐怖感でいっぱいなのは友達の方だというのに。
でもその本は決して湿っぽい内容ではなく、全く境遇の違う遠く離れた他人同士の行動と、それぞれの思いや怒りや希望が連帯して世界規模のシスターフッドが生まれるような、そんな本だ。
かつて、抑圧され束縛されて自分を捨てそうになっていた友達に、わたしは逃げることを勧めた。わたしもブラックな職場の正社員を辞めて、非正規ではあるけれど職に就き、人間らしく生きることのリハビリを終えた頃だった。その結果、状況は逆転するかのように好転し、友達は憧れていた職業に就いた。これからもっと人生を楽しんで、また一緒にいろんなことをしよう! それから数年経って、今。
友達は頑張っている。本当の本当にしんどいところは上手に隠して、情報も取捨選択して、変なひとや療法にひっかかることもなくサバイブしている。わたしには、楽しい話題を提供して、話し相手になることしかできない。頑張れとは言わない。本当に頑張っていることを知っているから。ただただ、全部終わったら一緒にしたいこと、行きたいところを伝えている。
先日、また登場人物が癌の小説を勧めてしまったのだけれど、その本はすっかりわたし達のバイブルになった。読書はわたし達の共通の趣味で、面白い本を勧め合えるとき、読書が好きでよかったとつくづく思う。その本と登場人物達は、きっと友達に寄り添ってくれる。
本って、読書ってすばらしいなと、心から思うのだ。