H E L M I

わたしの日々のこと

野望の果ての真実。

やっと読み終えた。

この本を読むのをきっかけに確認したら、自分がInstagramを使い始めたのは、今年でちょうど10年前。Facebookに買収された翌年だ。

mixiMy Spaceも使っていなかったわたしがSNSを始めたのは、ブラック企業を退職して、ようやくまともな生活を始めた頃。友達が最初にTwitterを勧めてくれた。そのあと、やはり同じ友達に勧められるままに、Facebookを始め、次にInstagramを始めた。

誰がどんな理念で作ったのかも興味がなくて、Instagramが生まれてから創業者ふたりが手放すまで、実はFacebookに買収されてからの期間の方が長かった、なんてことも知らなかった。多分ほとんどのユーザーがそうなんじゃないかな。

この本を読むと、どうしたって「マーク・ザッカーバーグって……」ってなってしまう。でも、Twitterに声かけられた時にそっちに行ってればよかったのか、そもそも買収されるべきじゃなかったのか、そんなのも全く判断つかない。

TwitterがXになって、Twitterのことが大好きだった人たちが嘆いているのを見て、そしてこの本に出てくるInstagramが大好きな人たちの存在を知って、単純にすごいなあと思った。わたしにとっては割と、無くなったとしても困らないものの方に入るから。端的に言うと、思い入れがない。

でも、Instagramの創業者たちがやろうとしたことには、なんだか共感する。特別で素敵で美しい写真を、沢山見たいと思う。そしてその反面、わたしはそれを提供できる気がしない。

だから、Instagramに対して感じていた「こんな写真でいいのかな」みたいな遠慮というか、Instagramに載せるならそれなりの写真じゃなきゃ、みたいなそういうのを感じていたのは自分だけじゃなかったんだと分かって、安心したのと同時に少し馬鹿馬鹿しくも感じた。

セルフィー大好きな知人は、フィルター加工もせずにばんばん自分の生活をInstagramに載せる。いつどこで誰と何をしたか、全部丸出し。何が楽しいんだろうと不思議で仕方がなかったし、あまりに投稿の数が多すぎて早々にアンフォローした。

特別でも素敵でも美しくもない、なんてことのない写真だって、Instagramに載せちゃいけないわけじゃない。でも、わたしは今もなんだか尻込みしてしまう。気づいたら2ヶ月も何も投稿していない。なんのために、なんて、目的はなくて、でもここは写真を投稿する場所なんだと、それは理解してアカウントを作った。載せたいと思う写真がなければ、投稿しなくたっていい。投稿して、それが世界中のユーザーに届かなくたって全然いい。だけど、だったらなんでアカウント持ったんだっけ? って堂々巡り。

わたしってつくづく中途半端に理屈っぽくて面倒くさい性格。この本をきっかけ、自分の面倒くささを再発見してしまった。