H E L M I

わたしの日々のこと

本を読む格好悪い理由。

「本を読む理由」に触れた文章をチラッと見た。そのひとの、ではなく、こんな理由なんじゃないの? というそのひとの考えが書いてあるようだった。長かったのと途中で飽きてしまったので、内容はあまり覚えていない。

わたしが読書をはじめたのは、父が読書家だったからだと思う。「漫画でも良いから本を読め」と言うひとだったから、本でさえあれば何を読んでも叱られることはなかった。読書を勧める親は取り立てて珍しくもないだろうけれど、漫画でも良いというのは珍しいかもしれない。わたしの親世代だと、「漫画なんか読んだらバカになる」なんてことを言うひともいたし、そもそも漫画の読み方を知らないひとだっていただろう。

町の図書館が体をなしてないような田舎で育ったので、本と名のつくものは買って読むものだった。漫画で読んでいた『クララ白書』に原作の小説があると知り、はじめて読みたいとねだって買ってもらったのが、集英社コバルト文庫から出ていた氷室冴子の『クララ白書』。原田治が表紙イラストを手掛けていたその本を、上下巻揃えて買ってもらった。

クララ白書』が面白かったから、わたしは今も本を読んでいる。文字だけで、文章で描かれている、漫画のもとになっている作品に興味があった。読んでみたら、それはとても面白かった。それ以来、面白そうと感じた本を、気の向くままに読んできた。ものすごく自分に正直に読書してきたから、ベストセラーだろうが名作だろうが読んでいないものは読んでいない。この辺の感じは映画も音楽も同じだ。

読書する理由を言え、と求められたら、それは本当にたくさんあるだろう。他人から見て格好いいかもしれないし、悪いかもしれない、色々な理由。わたしが読書する理由のなかで最も格好悪いのは、「本を読んでいないと自分がバカになりそうで怖い」というもの。「最近本を読んでいないな」と思うと、変な焦りが出てくる。なにか読まなきゃ、と落ち着かない気持ちになる。何故なのか考えてみたら、父がわたしに読書を勧めた理由のひとつに、「知識を得られる」というのがあった。「本を読むと知識が得られる」が、いつの間にか「読まないとバカになる」に変換されて、強迫観念化したのだろうか。だとしたらちょっと怖いな。怖いから、絶対言わない。

本はわたしを救ってくれた。色々な趣味のなかで、多分読書がいちばんわたしを救ってくれた。その思いがあるから、そっちを全面に押していこう。と思うけど、よく考えたら素人のわたしが「なぜ読書するのか」なんて訊かれることは、先ず無いのだった。